現実は想定を超える・東海村の臨界事故


9月30日。 私こと古徳正義は7月決算の法人申告のため、ひたちなか市役所、東海村、那珂町を経由して常陸太田県税事務所そして太田税務署への経路を自家用車で走行していた。
 東海村にある原子力事業所で爆発事故が起こったというTBSニュースをカーラジオで聞いたのは午前11時30分頃と記憶している。 この時は、旧動燃公社や東海原発の「過去の事故」のような外部と遮蔽された設備内のことで、いつもの操作ミスぐらいに思った。

 ひたちなか市のちゃーしゅー屋・孫目店で(この場所は県道・瓜連〜孫目線を挿んで東海村との境界)11時45分から12時10分までに昼食を済ませ、国道6号を東海村笠松を経て那珂町向山の有限会社○成工業の那珂工場に向かった。
 この時、従業員は昼食の最中で社長は集金のため東海村周辺に出掛けて留守であったが早速、従業員が携帯電話で「社長に帰社するように」と連絡をとってくれたので15分程、社屋外で待った。
 その後、従業員の食事が済んだということで、再び事務室で社長の帰社するのを待つことにした。(会社事務所といってもプレハブの空調設備のない場所。窓は暑い日差しに開放されたままの小屋同様な施設)
 社長とは10分程で用件を済ませ、那珂町額田東郷を経て常陸太田市に向かった。
 常陸太田県税事務所に到着したのが午後1時、丁度昼休みの終了チャイムがなり3件の申告書を提出した。
 さらに太田税務署へ寄って申告書の提出を済ませ、H鳥上席徴収官とK会社の源泉税の未納整理について打合せた後、太田法人会のK林 満事務局長を尋ねたが、法人会事務所は閉鎖されて無人であった。

 常陸太田市の顧問先の有限会社 ○形屋商店には財務会計ソフト導入の打合せのため立ち寄ったのが午後2時頃だろうか。 ここで東海村の爆発事故が民間の原子力事業所らしいという情報を得るが、事故現場のジェー・シー・オー事業所の所在地が確認できないまま、実家の金砂郷町に向かった。 (テレ&パル電話帳・サイネックスの東海村地区版の広告電話帳で探索したが企業名が見わたらなかった。なお、NTT電話帳・水戸ひたちなか地区版での探索は県北地区「日立・常陸太田版」では無理だった)
 帰水後、電話帳を検索した結果、潟Wェー・シー・オー事業所とは99年のNTT電話帳の・水戸ひたちなか地区版・東海村企業名に初めて掲載された事業所であった。

 金砂郷町に寄ったのは実母の介護保険申請手続きを検討するためで、申請受付は10月1日からということなので、申請用紙を預り「明日もう一度くることを母に告げ」午後5時頃、水戸の古徳事務所に向かって出発。
 金砂郷町花房から瓜連町、那珂町の118号線を帰水したが、古徳事務所での所用を済ませて、見和2丁目に帰宅したのは午後8時40分で、フジテレビでは99年の長嶋巨人軍の終焉の時を報じていた。
NHKテレビに切り替えて「東海村の爆発事故」が深刻な状態になっていることが繰り返し報道され、私の「想定を超えたものが、現実となってきたこと」を痛感した。
 テレビ画面から事故現場のジェー・シー・オー事業所と周辺道路が映し出されている「国道6号線と交差する道路」は東海村二軒茶屋から那珂町額田に抜ける道筋であり、所在地は東海村石神外宿という場所で「○友金属鉱山東海事業所」あるいは「○友原子力事業部東海試験所」といわれた会社ではないか。
 つまり、「私の走行コースと事故現場が1キロ以内の至近距離にあった」ことが心配になってきた。 でも、今更どうしようもないことでもあったし、しばらくはテレビの情報を静観することにした。

 10月1日。 朝4時30分頃から目が覚め「なぜ、こんな事故が繰り返し起こるのか」とテレビに齧りついて見ていたが、当事者が毎回、毎度「平身低頭」申し訳ありませんと謝り、「二度と過ちは起こしません」と言っていながら、どうして人為的な過ちを繰り返すのか。
 私にとって「原子力と人間」とは1945年頃からの永遠の戦いのテーマであります。 原水禁運動では京都市内の行動で「日射に倒れ」残念ながらヒロシマまで行けなかった苦い思い出もありますが、「原子力」を人間として、どう扱うかに欠けているように思えてならない。
水戸市内は屋内退避の10キロ範囲外であるが、当事務所は本日閉鎖することを7時30分に事務員の自宅に「室内待機」を連絡した。
 この電話連絡をする間も無く、金砂郷町の母から電話が入った。「大変なことになっているらしい。 道路の途中が心配だから今日、金砂郷に来るのは見合わせるように」ということであった。
 午前9時3分に、関信OB会のSさんから「茨城県内の状況」を知りたいという電話があった。
 テレビによる情報で想定、私なりに判断すると10キロ警戒地域には那珂町のO田 勲さん、常陸太田市の○林 満や○林 広二さん、日立市の○野 文雄さんが居住しているが無事だと思います。
 区域外の大宮町の○○根さん、水府村の○間さんは勤務先やひたちなか 市内の事務所に向かわない限り大丈夫でしょうと返事した。
 10時頃、再びSさんから電話があり「水戸、太田、日立税務署の職員 は、自宅待機するように」との当局から指示が出されているという情報が 寄せられた。
 昨日、立ち寄った○成工業の社長宅に(日立市東大沼町)那珂工場の様 子を電話したが、「只今の時間帯は通信状態が悪くなっています」という ことで、こちらからの電話連絡は控えることにした。
 11時頃には栃木税務相談室の○田相談官から「被災?、お見舞い」の 電話がありました。
 午後1時3分、上尾税務署の○松上席調査官「どうしていますか」と、安否を気遣っての電話がありました。
 夜8時頃には誰からか電話があったが、受話器を取損なった。

10月2日。 朝9時34分頃に川越の○塚 祐成さんや午前10時頃には、○橋 十三二さんから「大変なことでしたね」と電話があった。  ○橋さんは所用で茨城県を離れていたそうで、こんな事態が起こっているとはわからず帰宅したそうです。
 さて、こんなに周辺から電話があると私自身「自分の体調のこと」が心配になってきた。
 そこで国立水戸病院に診察を受けに出掛けてみたが、放射線に被ばくした心配のある人達が病院入口に10人余り、放射線の検査コーナーに3人程、診察室には5人ほど並んでいた。
 受付で事故現場から1キロ以内の至近距離に1時間程、プレハブ事務所内に滞在したことを告げ、「放射線を被ばくしたか、どうかの検査か、血液検査を受けたいこと」を申し込んだ。
 お役所のやることだと思ったのは、国立水戸病院の診察券が作られ、検査室に案内されたときのことである。
 これは特別な措置として行われることで、「緊急を要すること」ではないのか、  まず、受付順番にしたがって検査を行い、異常が見受けられたものだけ、「住所とか、何処に居て事故に遭遇したか」という質問を後回しに行なえば良いのではないか。
 検査の結果は、右手指の爪の間にチョット反応を示す検針の動きがあった程度で血液検査をする必要がないと言われホットしました。

10月4日、○山泰一さんからFAXが届きました。
お便り拝見いたしました。 地図を広げニュースを聞きながら状況を注視していました。 「色も匂いもないから」目に見える形での異常でないだけに不安はひとしおだったと思います。 報道の限りでの理解では、かなり至近距離にいた人を除き被ばくの程度は低いとのことで、ひと安心しています。 すぐに病状が現れるものでないだけに心配が解けません。 みなさんの無事を祈念しています。
 前日まで会社全体が不在でしたので、遅ればせながらお見舞いたします。

 常陸太田の○林 満さんから電話があり、東海村と常陸太田市の距離は5キロから6キロ程度であろう。 当日は知人の葬儀のため5.5キロぐらいのところに行っていたが夜まで事故を知らなかった。
 いずれにしろ、報道によると作業員の2名は業務経験がなく、作業を指示した上司も経験が浅いとか、慎重にやるべき危険な仕事を手抜きするなど我々労働組合があって業務改善運動を経験した者には「なぜ、就業拒絶や仕事の手順が違っていることを批判できなかったのだろうか」。これらが理解できないことを話し合った。

 長野県の○田 昌利先輩税理士からも見舞いの電話をいただきました。  道路地図を見ると東海村と水戸市との至近距離は判りますが、仕事とはいえ「えらい所にいたようですが、体調には支障がありませんか。」ということでした。

全国税関信地連OB会ミニ・ニュース NO65
 茨城の皆さんにお見舞いを申し上げます。 まさかの臨界事故でした。 被ばくの怖れは東海村だけではなく金砂郷町・大宮町など周辺9ヶ町村に及ぶとテレビで聞き、古徳さんにお見舞いを兼ねて周辺の様子を伺いました。  「広報車も来なかったし、行政からの放送もなかった」とか。週刊誌によると、「全国に原発も含めて36ヶ所ある放射能施設のうち、茨城には11施設があるのですね。 こんな事故2度と起きて欲しくありません。


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